図の思いつきで、新しい点は

生命現象を3層に分けて捉えようとした点です。

Ⅰ)胃腸の中で、消化が進む段階

Ⅱ)小腸大腸で栄養が吸収されて、大きな臓器を巡っていく段階

Ⅲ)60兆個もの細胞に毛細血管より栄養が吸収され、老廃物が排泄され

  その老廃物が汗や尿として、排泄される段階

 

視点の倍率の違いとも言えます。それぞれのレベルで、入力と出力があり、その間に

様々な代謝がある。その複層的構造が交響曲のように、同時に進行していく様が生命現象であるとも言えます。それが分かれば、病理も分かるでしょう。どこの流れが悪いかが分かれば、意図的に流してやれば、治るということになります。

大雑把に言うと簡単だけれど、なかなか細かい知見と結びつけるのが難しいんですよね。少しづつ前に進むしかないですね。

 

臨床は、理論とは関係なく効いたりしますので、その辺はご安心をして下さいね。 

 

 

生物モデルを考える意義

 

身体の生理を大まかにモデル化すると、入力から出力までの間の様々な出来事を現すことになります。大雑把には学問的に解明されていると言えるが、細かな事になるとまだまだ未解明な部分が多いのが、人間も含め生物学の実態です。

 

古来医学というのは、実学で、理論よりも、実践重視でした。理論はいい加減でもまあ結果が出ればいいじゃないか。という感じです。厳密に言うと医療と医学は違うといってもいいんですが。ただ、学問的に理論的に優秀な医者が、いい成績を残せるかというとそうでもないんですが。余談でした。

 

ただ、治療成績や施術の効果を高めようと志せば、学問的な支柱が必要になることも事実でしょう。ところが、臨床家が知りたい知識は意外と分かっていないんですね〜。そこで、あれこれ周辺の生物学の勉強などもして、自分なりに考えていくしかないんですよ。生物の身体やそのシステムは想像以上に複雑なんですね。解剖学の養老孟司先生も、「虫一匹作れねーじゃないか」とどこかで書いてあったな~。

 

分子生物学が発展し、遺伝子の解析も進み、もうすぐ全てが分かると20年前の生物学者たちは、本気でそう思ったのです。中村桂子先生の当時の本にはその頃の熱気が熱く語られていたな〜。

 

単細胞生物くらいは、簡単で、解明出来て直ぐにも人工生命が出来るんじゃないかという意気込みもあったんです。しかし、現実はその単細胞生物そのものが、想像以上に複雑だったんですね。未だに良く分からない。生命と非生命の境界も実は曖昧なんですね。養老孟司先生はその区別はないんだとも言っている。それを決めているのはあくまでも人間の都合のいい認識にしか過ぎないのかもしれない。また脱線したな〜。

 

脱線ついでに、分子生物学の福岡伸一先生なんかは、動的平衡が生命なんだと

言っている。分子から見るともう、川の流れも生物の体内の流れも区別がつかない。

これはこれで、面白いんだけど、もう少し大雑把に見ないと手技療法には、ヒントにならないとも思う。もちろん、手技で体内の流れをいい方に変えられればいいのだけれど。いわゆる気という奴ね。その細かい気の流れを感じ取れる人は、分子生物学の知見と重なるのでしょうが、普通の我々では、そうも行かない。気といっても大雑把にしか感じられない。ゆえに、もう少し大雑把に全体のシステムを把握したいんです。その大雑把なモデルを徐々に細かく精緻なものにすれば、きっと手技療法の施術にも役に立つと思うわけです。

 

やっと本題に戻ってきた。

そんな訳で、開業以来ずーっと、同じような生物生理的なモデルを考えては壊し、 考えては壊しを繰り返しているんです。

 

たまたま、今日思いついた図をアップしてみたわけです。新年度でホームページを始めたからですね。

 

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